創業物語 宮城から上京した大工とその妻の話

羽山工務店は、 平成元年に宮城県から大工として上京した現会長の羽山明夫が創業した工務店です。

平成28 年、 長男である現社長の羽山昭彦が代表を引き継ぎ 現在に至ります

創業前を含めると地元立川で40 年以上、200 棟以上の住宅を手掛けてきた羽山会長と、その妻としてその成長を支えてきた経理部長の羽山正子にこれまでの羽山工務店、そして、 これからの羽山工務店について話を聞きました。

地元に愛され、 支えられてきた羽山工務店のルーツを知りたい方は、ぜひご覧ください。

取締役会長|羽山 明夫(はやま あきお)

常に挑戦し続けならなきゃいけない。
常に腕を上げることを考えないといけないと思っています。

ープロフィールー

生年月日:10月11日(天秤座)B型
出身:宮城県登米市中田町上沼
資格・特技:木造建築士、増改築相談員、野菜づくり、漬物づくり
趣味・休日の過ごし方:野菜、漬物づくり、山登り、ゴルフ(24年やってます)(月1回ぐらい)、カラオケ(新曲には敏感(演歌ですけど)、すぐ覚えます)

取締役経理部長|羽山 正子(はやま まさこ)

みんなを支えて、結果的にお客さまが喜んでくれたら
それが一番嬉しいですね。

ープロフィールー

生年月日:1月30日(みずがめ座)B型
出身:宮城県登米市中田町
資格・特技:普通免許、調理師免許、二級ホームヘルパー、整体師(2年間習ってました。)
趣味・休日の過ごし方:ハイキングに行くことが多いですね、出来れば月に2回は山に登りたいです。

羽山会長が大工を志したきっかけは?

インタビュアー:会長が大工になったのはどのようなきっかけだったのですか?

会長:私の母親に「あんた大工になったほうがいいんじゃない?」 と言われたのがキッカケです

6 人兄弟を育てあげた母親です。 言葉に説得力もあったし、 逆らっちゃいかんかなぁという気もしていました。6 歳上の兄が先に大工として東京で働いていたのでそれを追うように私も東京杉並の工務店)へ。そこから、 もう亡くなってしまったのですが、 親方のもとで修行が続きました。

 

インタビュアー: 今の時代とは全然違う厳しい修行だったんですよね?

会長:今と比べればそうなのかもしれないけど、 厳しいというのは当たり前の時代だったからね。だから辞めようとかは一切なくて、 早く自分で1 棟建てたい、 そんな想いでしたね。負けず嫌いだから、 大変って思うのも嫌だったのかもしれない。特に、 同世代の大工には負けたくない。そんな想いで、 いくつかの棟梁のもとで修行を経て、 23 歳のときに独立しました。

 

インタビュアー: その時にご結婚も?

会長:そうですね。 なので羽山工務店のスタートは私と妻の2 人でのスタートなんです。

経理部長:今は、 頼りになるスタッフに囲まれていて賑やかですけど、 創業当時はこの事務所もなかったので。専務が会社に入るというときに、 事務所も構えたという感じで。当時を思うと、 今はお客様にもスタッフにも恵まれた環境で仕事ができていると思いますよ。

羽山工務店の歴史の中で、ターニングポイントはありますか?

インタビュアー:羽山工務店の歴史の中で大変だったことやターニングポイントはありますか?

経理部長:大変だったことならいくらでもあるね笑)

会長:総じて言うと、 やっぱり時代に合わせて変わっていくことだと思います。ずっと同じままではいれない。 そこに適応できたのかと思いますね。

インタビュアー: いくつかエピソードをいただけると嬉しいです。

会長:大工として下請け業をずっとやっていたのですが、ある時、 私の師匠とも言える工務店の社長さんから「いつまでも材料を、 あてがわれたものを使ってたちゃダメだよ。 羽山さんは自分で材料も持って来て仕事をしなさい。」当時、 材料は現場に用意されているのが当たり前でした。)という話をいただきました。

言われた瞬間は「なぜ?」 と思うこともありましたがそれが、 下請けからお客様から直接お仕事をいただく「元請け」 となるきっかけとなりました。

下請け仕事では、 自分の建てた家をその後まで面倒を見ることはできません。今の羽山工務店のような長いお付き合いができないんです。「だからこそお客さんのための独立しなさい。お客さんと永い付き合いができなければ何の意味もないんだよ。」

今、 思えばそんなメッセージをいただいていたのだと思います。

一度、はじめたことは続ける。これは私の性分です。

インタビュアー: 他にはどんなことがありますか?

会長:つながりをつくること、協力業者会のはじまりですね。元請けをするからには、 自分の力だけではできない協力業者さんも含めた「つながり」 をつくっていくことが大事だと思ったんです

インタビュアー:協力業者さんははじめから協力的だったのですか?

会長:はじめは業者さんも何をするのかわからなかったと思うよ。例えば、 瓦版ハヤコウ通信)の配布だったりに協力してくれとお願いしたり。「リフォームでも新築でも自分の家を建ててるつもりで」 なにか迷ったら   自分の家を建てるつもりでと思ってくれと 私の家づくりの想いを伝えたり。

経理部長:集まってくれる人たちには本当に感謝しています。私もできる限りのことはしようと思って手伝っているけど、本当に皆様に支えられて羽山工務店があると思っています。

インタビュアー:継続は力なり、ですね。途中、めげそうになったことはなかったですか?

会長:一度はじめたことは続ける。これは私の性分です。めげそうになることもあったかもしれませんが、その信念は曲げない、そんな想いでやってきました。

協力業者さんも、 メーカーさんも、 もちろんお客様も。一度お付き合いがはじまったら長く付き合いたい。   付き合いが深いからこそ、 リピートしてもらえたり、こちらも思い入れをもって仕事ができたり。

そこは時代が変わっても羽山工務店の文化として変えてほしくない所ですね。

代替わり。言い合いになったこともあったけど、だからこその今があると思います。

インタビュアー:今は 多くの方に支持をされ応援される羽山工務店になっていると感じます。社長に代を継いだ今の羽山工務店を見てどのように感じますか?

会長:今は、 社長長男)と専務次男)がよくやってると思いますよ。専務が18 歳のときに大工として入ってきて、その後に社長が外の修行から戻ってきて。

経理部長:社長が戻ってきて間もないころは、 会長とも言い合いになったり、その言い合いの私が間に挟まれることもありましたが、今思うとそれも必要なことだったのかなぁなんて思います。先程も言いましたが、 良い人たちとご縁があったことが何よりありがたいことです。

会長:長く続けていくためには、 売ったらおしまいではダメちゃんとした家をつくって、 ちゃんとしたお付き合いを続けていくこと。家族が家に住み続ける限り、 お付き合いの続く仕事をしていってほしいなと思います。

「ありがとう」の想いを1本1本のタオルに込めて。

インタビュアー: 最後に 今、 お二人が一番うれしいことを聞いてもよろしいですか?

会長:えっ、 なにかあるか?

経理部長:私は、 お客様からのお電話が一番うれしいですよね。やっぱり、 仕事がなかったときのことも思うので。

工事のご挨拶回りの時にお配りするタオルは私が用意するんです。その一本一本に「ありがとう」 という気持ちを込めています。その気持を込めている時間が幸せな気持ちになるんですよね。

会長:そうですね。 私は羽山工務店がこうやって元気に続いていることですね。  厳しい時代ですし 周りでも、 一代で終わっちゃってる工務店が多い中で、社長も専務もやる気、 エネルギーにあふれているから今のようになってこれたと思います。その「やる気」 を感じられることが嬉しいですね

瓦版が何十年と続いていたり、 もちつき大会感謝祭)だったり、若い人のアイデアでその関係を続けられるように、

これからも、 時代に合わせて頑張ってほしいですね。

アットホームさ、という魅力

「アットホームさ」

羽山工務店を選ぶお客様、 スタッフ、 協力業者様たちが口を揃えて言う羽山工務店の魅力です。家を売る、 買うだけのことであればアットホームさは必要ないかもしれません。でも、 家は何十年も住み続ける人生で一番の大きな買い物。だからこそ、 羽山工務店では良い家を建てるだけでなく「お付き合いが続くこと」 も大切にしています。

今回、 創業者の2 人からの言葉には、 その変わらない想いを改めて伝えていただけた気がします。

羽山工務店に関わる皆様、 これからも変わらぬご愛顧をよろしくお願いいたします。